2017年7月の旅、ドイツ・Berlin(ベルリン)のTheater des Westensで”Der Glöckner von Notre Dame“(ノートルダムの鐘)を2日間にわたり計3回観劇しました。物語の内容に触れるので、未見の方はご注意下さい。
上演劇場のTheater des Westens、Berlinでミュージカル観劇と言えばまずこの劇場。Tegel空港からバスで20分のZoologischer Garten駅から徒歩5分、非常に交通の便が良いです。今回は17:55 Berlin Tegel着のフライトで、19:30開演に間に合えば観劇する駆け込みスケジュール。預け入れ荷物が出てくるのを少し待ちましたが、何とか18:45発の空港バスに乗ることが出来ました。劇場隣のホテルMotel One Berlin Ku’Damm (モーテル ワン ベルリン クーダム)にチェックイン後、劇場に着いたのは開演15分前でした。
窓口で当日券をカード決済で購入。夏のセールをやっていることを予めチェックしていたので、「割引チケットはありますか?」と聞いたところ、「どの割引ですか?」と尋ねられました。キーワード”Musicalsommer”を言うと、割引が適用される席を座席表上で幾つか示してくれました。日本では『ノートルダムの鐘』はチケット入手困難な大人気演目ですが、Berlinでは私が行った3公演とも1階のParkettと2階バルコニーに当たるHochparkettはほどほどに埋まっていたものの、日本式の3、4階に当たる1. Rangと2. Rangは締め切られており、劇場全体の客入りは半分程度でした。夏場のドイツはアウトドアの方が人気なので、劇場の客入りは悪くなりがちなのです。
当日のキャスト表はグッズ売場の係員に言うと貰えます。またプログラムにも挟んであります。プログラムは19 EUR、舞台写真集とキャストブックの2冊から成っています。他のグッズも含めて現金購入のみ。
シャンデリアが美しい劇場2階ロビーには鐘のレプリカが飾られていました。
英語版CDと劇団四季版CDでざっと予習しましたが、視覚的に体験するのはこれが初めて。舞台にクワイヤのメンバー24名が登場するところから期待が膨らみました。厳かに始まる合唱、徐々に盛り上がるオーケストラの演奏、音楽が生まれ、空気が膨らみ、圧力に耐えられなくなった風船が破裂するかのように、劇場空間が音の洪水に一気に支配されました! この音の圧力、空気感を生で体験することこそが劇場に行く意味であり、CDでは得られない醍醐味だと強く感じました!
予習したCDでは省略されていた遊び好きの弟Jehanに手を焼く真面目な聖職者兄Claudeの兄弟関係や、Jehanが連れ込んだジプシー女性を一旦隠そうとするものの、神父の前で嘘がつけなかったClaudeが彼女を突き出すこと、怒った神父にJehanが追い出される下りが彼女と手に手を取っての逃避行だったこと等、物語の前提になる部分が実際の舞台を観てより詳細に理解出来ました(なおドイツ語版CDにはこの辺りの台詞は大部分が収録されています)。
前置きから本編が始まるに当たり、舞台奥から普通に背筋を伸ばして歩いてきた役者が背中にこぶをつけ、その上から衣装を着けて背中をかがめ、両手で顔に黒い塗料で模様を施すことでQuasimodoに変身する演出は、なかなか興味深く感じられました。芝居がかったこの方法、昔々の物語を今から演じますよと枠構造を強調することで、これから起こることの生々しさや残酷さが和らげられています。
Quasimodo役は初日はセカンドのJonas Hein、2日目は昼夜とも本役のDavid Jakobsで観ました。Jonasは”MOZART!“に出ていた頃のYngve Gasoy-Romdalを思わせる重層的で豊かに響く声と心に飛び込んでくるような情感溢れた歌い方が魅力。Davidは”Elisabeth“の初代Rudolf役Andreas Bieberを彷彿とさせる高いながらもしっかりした伸びやかな声質の持ち主。タイプの異なる両Quasimodoは甲乙つけがたい素晴らしさ! ロープにぶら下がって鐘をつく動作の滑らかさ等、テクニックが必要な動作は公演数をこなしている分Davidの方が慣れているように思いましたが、全く些細なことです。今回はFrederic役での登場でしたが、”Tanz der Vampire“ドイツツアー公演のHerbert役で好評を博したMilan van WaardenburgもQuasimodo役者の一人です。背が高く特徴的な顔立ちで良い声なので、アンサンブルの中でも一際目立っていました。
musical1掲載のJonas Heinの音声インタビューの最後、インタビュアーの求めに応じてQuasimodoとして挨拶するJonasの声を聴くことが出来ます。インタビュアーの質問が16分14秒から、続いて16分24秒からJonasがQuasimodoになる5つのステップを紹介し、足を内側にねじって膝を落とし、背中を丸め、口を横に歪めて声を作る流れを実演します。本来の声とは違う声色と話し方に驚きます! 楽屋口で御本人から聞いたところによると、いつか”Tanz der Vampire”の伯爵役を演じることが夢だそう。私としては”MOZART!”のWolfgang役で見てみたいです。
Frolloと話すときは声がくぐもってどもり気味なQuasimodoですが、石像達との会話は滑らか。内的世界では身体の不自由さから来る物理的な制約から解放されて、思い通りに話すことが出来るのでしょう。
Quasimodo役の魅力について、David Jakobsはmusicals 185号(2017年6・7月号)のインタビュー記事で、ハンディキャップや異形の外見にもかかわらず、自分達と同じ一人の人間であること、そしてQuasimodoにとってはまるで子供のように全てが初めての体験であることを挙げています。「Quasimodoは子供ではないけれど、ただただ無垢で純粋な存在。彼が経験する全ての感情は初めての体験なのです。18年間鐘楼の中で生きてきた彼が外に出て、初めてEsmeraldaのような女性を見たらどうなるでしょう? 突然外に出た彼に全てが一気に押し寄せ、雨あられと降り注ぐわけです。全ての体験に対する彼の純粋さ、時にはもてあましてしまうようなフィルターを通さない感情をキャラクターを通して体験することは、俳優にとっては素晴らしいことです。Quasimodoは身体的なことを除けば、多くを『演じる』必要は全くありません。何故ならただ体験すれば良いのです。初めての体験なのですから」。
David Jakobsがベルリン大聖堂を背景に歌う”Draußen“(陽ざしの中へ)。初めて外の世界に触れるQuasimodoの純粋な喜びが溢れんばかりに伝わって来ます!
Frollo役のFelix Martin、始まってしばらくは厳しい口調がUwe Krögerにそっくりに聞こえました。musical1のUweのインタビュー記事によると、UweはFrollo役のオファーを受けたものの、他のスケジュールの都合もあって実現しなかったそうです。Uweが演じるFrolloも観てみたかったです。
Felixの舞台を観るのはWienの”Elisabeth“初演時代のDer TodとHamburg(ハンブルク)の”MOZART!“のColloredo以来。私の中の彼のイメージはやや大袈裟な歌い方と演技が好きな人は凄く好き、しかしついていけないとちょっと笑ってしまう独特な人というものでしたが、歳月を経て随分と落ち着きが出たように思いました。既に観ていた友人からは彼の演技に納得しがたいとの意見を聞いていたせいか、私は逆に意外に良かったと感じました。FelixがFrollo役に決まったと知った時は、彼の声は高すぎるのではと思ったのですが、実際に聴くと違和感はなかったです。全てのキャストは有名無名にかかわらずオーディションで決まったそうですが、Felixの場合は本人も驚くほどの早さで決定したとmusical1のインタビュー記事で語っています。Felix自身はオーディションの要件や米国版プロダクションから、Frollo役はもっと年齢が上だと想像しており、声の方も近年ものにした低音が充分かどうか定かではなかったそうです。前例に囚われないチャレンジが大役に結びついたのでしょう。
演技に関しては、振る舞いや仕草は古い絵画や油絵を参考にし、教会の人間らしく重々しくゆっくりと戒めるような口調を心がける一方で、鐘の音のせいで耳が聞こえにくいQuasimodoに話しかける時は、民衆を相手にする場合とは話し方を変えているというFelix。新参者や難民が自分達の心地良く守られた世界に侵入してきた時に感じる恐れは今日の情勢と通じるものであり、神への忠誠と女性への情欲という相反する気持ちの間で葛藤するFrolloの声音を通じて、誤解のない形で明確なメッセージを伝えようと考えている様子がインタビューから伝わってきます。
Esmeralda役のSarah Bowdenはオーストラリア出身、過去には東京ディズニーリゾートで出演していたこともあるそうです。とにかく凄く踊れる人です。動きがしなやかで上手い! そんなに背中を反らせても大丈夫!?と心配になるほど柔軟な身体の持ち主です。ダンスシーンでEsmeraldaの動きがスローモーションになると、手に持った布がいつの間にか風になびいた形で固定された布を模した小道具に変わる演出はいささかキッチュ。Quasimodo、Frollo、Phoebusの三人の心がキラキラした異空間に飛んでいき、それぞれが彼女を天使のようだ、悪魔のようだと正反対の表現を使いつつも結局はうっとりしている様子はちょっとおかしかったです。
キャスト写真で見たときは随分とお姉さんなEsmeraldaだと思いましたが、ロングヘアで衣装を着けて踊る姿を見ているとあまり気になりませんでした。声だけ聴くと随分と姉御っぽくベテランの踊り子に聞こえますが、やはり舞台で観ないと分からないものです。太陽のような明るい歌声に比べて台詞回しがやや硬めなのが気になりました。
Phoebusは本役のMaximilian Mannが休暇で不在だったため、初日は本来はJehan役のTim Reichwein、2日目は昼夜ともDaniel Rakaszが演じていました。2日目は短髪パーマで前髪長めのホストっぽいPhoebusだったのですが、席が遠かったのもあって登場当初は演者が前日と違うことに気がつかず、一瞬髪型を変えたのかと思いました。Tim ReichweinのPhoebusは軟弱な女好きで印象は薄め、Daniel Rakaszの方がより男らしさ、ワイルドさが感じられ、女性にもてる雰囲気がありました。
Esmeralda役のSarah BowdenとPhoebus役のMaximilian Mannによる”Einmal“(いつか)のプロモーション動画では、現代に生まれ変わったかのような二人が緑豊かな風景やきらびやかな劇場内部を背景に美しい声を響かせています。
Clopin役のJens Jankeは1999年のBerlin初演版”Der Glöckner von Notre Dame”にも同役で出演していました。テンションの高い陽気なおじさまと思いきや、Esmeraldaを探しにやって来たQuasimodoとPhoebusをいきなり縛り首にしようとする辺りは意外にドライ。
Quasimodoが暮らす大聖堂内部を基調に、天井から降りてくる鐘や祭りの装飾、移動式舞台、配置によって階段の手すりや屋上の柵に見立てられる可動式の柵等によって場面転換が図られるセットは、大がかりな舞台転換や昨今流行の映像を使用せずとも作品世界を十二分に表現しています。僧衣のクワイヤとアンサンブルの動きや配置も美術の一部として考えられており、Frolloがランプの持ち手を静止しているアンサンブルの手にひょいとかける仕草には、シリアスな物語の中にもクスリとさせられました。2階席からはチェス盤を思わせる床の白黒の市松模様が綺麗に見えます。Theater des Westensの正面玄関フロアの床も白黒の大理石が市松模様に敷き詰められているので、終演後もまだ舞台の続きを見ているかのような錯覚を覚えそうになりました。
この作品の魅力は何と言っても楽曲の素晴らしさとQuasimodoの純粋さ。インタビューにもあったように、Quasimodoにとっては全てが新しい体験。何をやっても初々しさがあり、世間を知らないストレートさが行動に出ています。全てに一生懸命なQuasimodo、姿は醜くとも純粋な魂の美しさが感じられ、彼の運命を祈るように見守る気持ちが沸いてきました。楽曲の方は教会音楽のような荘厳な響き、大人数でのコーラスと迫力のオーケストラが盛り上げるメロディーに身を委ねる心地良さに陶然としました。幕間や終演後にオーケストラピットを覗き込む観客の数が、普段よりも明らかに多かったのもうなずけました。
Frolloが単純に全面的な悪役として描かれるのではなく、弟を亡くした過去があり、Quasimodoとは伯父と甥の関係にあるという設定は、なかなか興味深く感じました。観劇前はディズニー映画のイメージで、若い女性に歪んだ欲望を抱く気持ち悪いキャラクターを想像していましたが、物語の冒頭でFrolloの過去の経緯を知ると、今回のバージョンでは不気味さを強調する必要はないと思えました。Esmeraldaへの欲望は生々しい感情というよりももっとシンボリックなもので、Frolloの中でくすぶっていたJehanや彼の相手だったジプシー女性が属する世界への無意識の憧れと憎しみが、たまたま目の前に現れたEsmeraldaへの衝動となって噴出したのではないでしょうか? 囚われのEsmeraldaに迫るFrolloに対し、「何故私なの?」と問い返す彼女。その質問に「自分でも分からない」と動揺しながら答えるFrolloの姿に、そんなことを思いました。
ただ物語全体としてはもう一つすっきりしないというか、もやもやとした思いを随所に感じてしまいました。特に気になったのはEsmeraldaとPhoebusの関係。恋に落ちる気持ちの流れがあまり感じられず、唐突な印象を受けました。Quasimodoの決死の救出劇が空しい結果に終わってしまうのもやるせないです。Esmeraldaを抱きしめたまま時の流れに消え去るQuasimodoの姿は無償の愛を具現化していて美しいとは思いますが、命を賭けるほど思う相手から同じだけの思いが返されないまま終わってしまうのは寂しいことです。同じ悲しい結末であっても、『アイーダ』のように二人の心が一つになっていればまだ救いを感じられるのですが・・・。またディズニー映画のような極悪人のFrolloであれば、Quasimodoに投げ飛ばされても自業自得だと思えますが、”Der Glöckner von Notre Dame”のFrolloは弟思いで、その忘れ形見のQuasimodoに教育を施し、面倒を見ているという善の部分が最初に呈示されるため、そのQuasimodoから存在を全否定されてしまうのは可哀想に思えてしまいました。
理屈であれこれ考えすぎると観劇の魅力が薄まってしまいそうなので、もしまた観る機会があれば、音楽の美しさとQuasimodoの純粋さを体感することに注力したいものです。
Berlinでの観劇から1ヶ月後、京都劇場で劇団四季『ノートルダムの鐘』を観ました。カジモド役は田中彰孝さん、大量の汗に衣装の色が変わるほどの大熱演が心に残りました。演出等はBerlin公演と基本的に同じ内容だと思いますが、Berlinでは先生と生徒のように見えたFrolloとQuasimodoの関係は、四季ではご主人様と召使いのように感じられました。Berlinでは舞台セットの1階及び2階部分左右の空間に各6人、合計24名(一度23名だった回がありました)のクワイアがいましたが、四季では1階部分は無人で2階部分の左右に各8名、計16名の布陣。私は前方席だったのでコーラスが頭上を抜けていってしまいました。Berlin公演で一番感動した生演奏の熱量と音圧が感じられなかったのは残念でしたが、日本語で内容確認出来たのは良かったです。
“Der Glöckner von Notre Dame“はBerlinで2017年11月4日まで公演後、キャストはそのままで11月12日(11日プレビュー)から2018年1月7日までMünchen(ミュンヘン)のDeutsches Theater Münchenに舞台を移します。その後2018年2月18日から9月9日までStuttgart(シュトゥットガルト)のStage Apollo Theaterでの上演が決まっていますが、キャストは未定です。チケットはStage Entertainmentのサイトから購入可能です。
“Der Glöckner von Notre Dame”のライブ録音CDは2017年7月に発売されました。ドイツのミュージカル専門店Sound of Musicで通販可能です。パンフレットやグッズも取り扱っています。ドイツのAmazonではMP3のダウンロード販売も行っています(CDを購入すると無料でMP3が付くAutoRipは日本からの購入の場合対象外)。
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